節分
節分と言えば豆まきと恵方巻き
豆まきは片付けめんどくさいですね
豆はモリモリ食べましたが...
恵方巻き、背徳感あっていいですね
巻き寿司手づかみでかぶりついて許されるのは、一年に一回だけですし
もとをたどれば遊女にさせたのが発祥だから、下品、伝統でもなんでもない、なくなれ!
みたいな意見も散見されますね
いろいろ意見はあっていいと思うんですけど、性風俗が発信源のものは無くなるべき!みたいなのは、個人的にあまり好きじゃないです
盆踊りだってもとは乱交パーティーだったって言うじゃないですか
なんなら、です・ます調だって、ありんす調に類する、花魁が出身を隠すための話し方ですし
まあ、気にするだけ無駄ですかね
なにも考えず、楽しく豆捲いて、ガツガツ巻き寿司食いますか
星球部ってなんや?
「星球部」という部活を目にした事はあるだろうか?少なくとも私は、今朝最寄りの駅にいた「星球部」と書かれたカバンを背負った中学生達を見るまで知らなかった。
ところで「星球」とはなんだ?「卓球」は卓球。「庭球」はテニス。「星球」とは……?
「星」である、「星」。卓球は卓上。テニスは庭でできる。「星球」は星規模でしかできないのか?一体何なんだ?国は機密に宇宙戦争の準備をしているとでもいうのか!
いや、「籠球」はバスケ。籠を使うからバスケなのだろう。という事は「星球」は星を使うということか!、……???
いや、もしかしたらボールに星が書かれているのかもしれない。世界中に散らばった七つの星の書かれたボール。七つのボールを探し集めて龍を召喚し、、、んな馬鹿な……
いや、もしかしたら何かの競技の名前ではないのかもしれない。星というものは球である。それを表現しているだけなのかもしれない。熱いメッセージである。にしては伝わらない。
一体、なんなんだ?
「星球部」についてなにか知っている人は教えて欲しい。これは地球の危機なのかもしれない。地球の危機だからと言って何ができるわけでもないが、まぁ、覚悟だけはする。
ワークショップ
今日、大学でキャンパスデザインに関するワークショップをしてきた
その議論内容も面白かったのだけど、ワークショップ自体のやり方も今後のためになるものだと感じた
まず初めに問題提起
かのアインシュタインも「問題を20日で解決しなければならないなら、私は19日かけてその問題を定義する」という言葉を残したそうだ。それほど何が問題となっているのかを考えることは大切で、その質や量次第で、解決法のクオリティーが変わってくる。できるだけ多くの問題点を、できるだけ多くの立場の人の目線に立って考える、想像力が大切だと感じた。そして、発散された意見の中から一部を選び、それに収束させていく。そうすることで、広い視野と深い考察を両立させることができる。そうして、解決法をどういったコンセプトにするか決める。
次に解決法を考える
これも問題提起とほぼ同様に、ありとあらゆる意見、特にバカバカしいような意見も含めて、多くの意見をとりあえず出す。意見が発散しきったのち意見を収束させていく。このとき、実現可能性よりも面白さで取り上げる意見を選んだほうが、結果的に価値ある解決法が得られるという。
そして、出てきたアイデアの問題点をさがし、それの解決法を議論し、、、と何回も議論をしていくことで、質の高いものが得られるそうだ。
問題提起のほうにより重点を置くべきだという考え方や、面白さ重視という考え方が特に新鮮だった。
今後何かの話し合いなどで、こういった手法を使えたらいいと思う。
第1回京都散歩
この前京都に行ってきたのでその報告をしたい
やはり京都はよい
時間の都合などで長居はしなかった。バスを降りるなりこの大きな門が目に入り圧巻である。
中の参道は広々としていて、夏の爽やかさに満ちていた。
仁和寺から歩いて十分とすこし、石庭で有名な龍安寺に着く。石庭は風情あふれ、ここもまた夏らしい力強さを感じた。石で水の流れを再現しようという発想に感服し、どこからそんな発想が出てくるねん、と思った。実によいものを見た。
奥に見えるのが石庭のある建物なのだが、そこにつながる道の風情!
モミジの木が日陰を作りとても涼しく、木漏れ日の美しさやそこを流れる風の心地よさは筆舌に尽くしがたい。また秋には紅葉しとても美しいだろう。秋にも行きたい。いや、今すぐにでも行きたい。
石庭が有名だから池がないと勝手に思い込んでいたが、立派な池もあった。白鳥(?)がいたりした。またここも、季節によって雰囲気の変わりそうなところだった。
龍安寺から歩いて十分程度、立命館大学がある。キャンパスは「大学に来たな」って感じにさせてくれる雰囲気。建物はある程度色合いなどが統一されていて見応えがあった。
立命館からの移動中、かっこよすぎる小学校があった。
履歴書かっこよすぎるやろ、絶対小学校から書くわw
では、この散歩のメインたる金閣をドーン
正直、「実際見たらしょぼいんちゃうかな~」と思っててんけど、すごい迫力だった。悪趣味を超えてくる。はぁ、、、ってなる。三代将軍すげぇ、、、ってなる。豊臣秀吉ですら黄金の茶室が限界だったわけだから、それ考えるとほんとすごい。観光客の量もすごい。すごい。すごい。
この散歩の後、チャンバラして帰った
また京都いきたい。(第二回京都散歩は実施済みやけど、、、)
1セメの終わり、夏の始まり、始まらぬ青春
期末テストが終わり夏休みが始まる
なので、夏休みにこのブログで扱うコンテンツを考えておこうと思う
何事も計画は大事なのだ
餅の絵すら描けなくては話にならん
つまり、夏休みの抱負をしようというわけだ
しかと聞け
散歩企画を3回
読書関連の話を5回
旅行関連で2回
日常ネタで4回
彼女がいないので、恋愛ネタとかはできない
できないことはやろうと思わない
とりあえずこれができる程度に夏休みを有意義に、そして、無駄におくりたい
これを達成できなかったら城の堀に沈めてくれ
いや、冗談
ポケモンGOと集落
ポケモンGOが流行っているらしく、流行を追いかける現役大学生としては是非ともやらねば!と思ったのだが、俺のスマホが対応していなかった。無念。
その流行ぶりは凄まじく、どこに行っても、スマホを見つめているポケモントレーナーがいる。運動不足の解消や、引きこもりからの脱却にも一役かっているという。そんなに楽しいのか!是非やりたい!
一方で、歩きスマホや、私有地への侵入などの問題が出てきたようだ。これはユーザー側の問題であり、配信者側の問題ではないと思うのだが、ゲーム自体の責任にしたがる人もいる。まぁ、まだ日本人の民度は安全にポケモンGOができるほどまでは上がっていないということか。
この流れで、ポケモンGOを禁止しようとする人たちが出てきたらしい。ポケモンGOは事故を誘発するからダメだそうだ。この国は、ダメなものに対しては、禁止する以外に手段を知らないのだろうか?
特にかわいそうなのはこども達だ
公園では、「遊具は危ないから撤去」「ボール遊びは危ないから禁止」
家にいれば、「子供は外で遊べ。家の中で過ごすの禁止」
何もない公園でゲームをしていれば、「外で座り込んでゲームをやるのは見苦しいから禁止」
ポケモンGOをしていれば「危ないから禁止」
一体どうしろと。大人が勝手に禁止したことで何もできなくなる。
どこかで読んだ文章の内容が非常に面白かったので、それをパクりながら話をする。
日本の集落というのは、その周りをタブー、つまり禁止事項により囲んでいる。「あの森に行くと生きてかえってこれない」「あの川にはカッパが出る」云々。とにかく集落の周りの危険な場所に行くことを禁止する形で、人々を集落の中に住まわせた。これは「ポケモンGOは危ない。だから禁止して、安全なところに連れてこよう」という発想に似ている。
では、西洋の集落はどうなのか。西洋の集落は教会の周りに家が建ち並んでいく形で成立される。日本は危険から逃れるように集落を構成したのに対し、西洋は身を寄せたいものに積極的に近づく形で集落を構成した。その後、外敵から身を守るための城壁などが築かれる。これは、「ポケモンGOは楽しい。ではどうすれば安全に楽しめるのだろうか?」という発想に似ている。
安易な禁止ではなく、そのものの良さを尊重した解決策を提案することが大事だろう。
というわけで、俺のスマホにダウンロードされることを拒むのではなく、ダウンロードされてくれないだろうか?
頼む、、、